【悲報】韓国テコンドー、史上初の金メダル「ゼロ」=韓国の反応

韓国のポータルサイトであるネイバーより「韓国テコンドー、史上初の金メダル『ゼロ』」という記事の韓国の反応を紹介します。


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韓国テコンドー、史上初の金メダル「ゼロ」


もう一つの逆転ドラマはなかった。闘魂を見せた李多嬪(イ・ダビン、24)は最後のヤマを越えられず、テコンドー韓国代表は「史上初の金メダル『ゼロ』」で東京五輪を終えた。銀メダルは1個、銅メダルは2個で、2000年のシドニー五輪で初めて正式種目に採択されて以降で最悪の成績だった。

李多嬪は27日に行われた女子67キログラム超級の決勝(千葉・幕張メッセ)でミリカ・マンディッチ=セルビア=に7-10で負けた。押されっぱなしだったものの終盤に6-6の同点としたが、相次いで失点して勝てなかった。李多嬪は「誰と当たっても勝ちたかったが、私の実力が足りなかった」と語った。

李多嬪はこれより前に行われた準決勝でビアンカ・ウォークデン=英国=に22-24で負けていたが、終了1秒前の劇的な蹴(け)りで逆転勝ちし、韓国国民を感動させた。最後の力を振り絞って左足ヘッドキックをウォークデンの頭に決めて3点を獲得、25-24で勝った。李多嬪は「こんな試合は初めて」「何が何でも勝つという切実な気持ちが勝敗を変えてくれたようだ」と言っていた。

メダルの色こそ金ではなかったが、李多嬪はテコンドー韓国代表6人の中で成績が最も良かった。李多嬪は「よく耐えてくれた左足に感謝している」と言った。苦労して五輪出場権を得て出場したものの、過酷な日程で体が少しずつ削られていっていた。特にテコンドー選手にとって致命的な足首の故障に見舞われた。昨年と今年初めに2回手術したが、足首痛が再発した。後で分かったことだか、左足首の骨の前方に1センチメートル大の骨のかけらがあった。「血管まで損傷し、日常生活もできなくなるだろう」と診断され、今年5月に手術を選択した。

リハビリには3カ月必要だったが、李多嬪は1週間もしないうちに病院を飛び出し、鎮川選手村に向かった。「死んでも五輪の金メダルを取ってから死のう」と意地になったという。李多嬪は「出国日前日も注射を打った」と言った。李多嬪に銀メダルをもたらした準決勝での逆転の蹴りは、まさにその足首から繰り出されたものだった。

男子の印教敦(イン・ギョドン、29)は血液がんの一種であるリンパ腫に打ち勝ち、80キログラム超級で銅メダルを取った。準決勝でデヤン・ゲオルギエフスキ=北マケドニア=に6-12で敗れたが、3位決定戦ではイバンコンラド・トライコビッチ=スロベニア=に5-4で勝った。

2014年の大学生の時にリンパ腫と診断されて手術台に上がった。抗がん剤治療を8回受けて体力が急速に衰え、競技力も大幅に下がった。手術後約10カ月間は吐き気があり、「テコンドーをあきらめなければならない」と考えたという。だが、大学時代の恩師だったパク・ジュンマン韓国ガス公社監督=当時=が印教敦を思いとどまらせた。誰も印教敦に会いに行かなかった時、パク監督は「治療が終わったら私の所に来なさい」と言った。印教敦は自分のことを忘れずにいてくれた恩師にひとまず会いに行った。そして、まだ闘病中だった2015年1月1日からチームのトレーニングに参加した。先輩たちの練習にとにかく付いていったが、吐き気がひどかった。それでも武道家の体は適応が早かった。そして同年7月の光州夏季ユニバーシアードで銀メダルを取って再起した。

その後、国内重量級の最強選手として復活を果たした。2017年の茂朱世界選手権の87キログラム級銅メダルを獲得するなど、国際舞台でも再びその名をとどろかせるようになり、2019年に完治したと診断された。遅ればせながら人生初の五輪行きチケットも手にした。そしてこの日、メダルを手にして「人間勝利」を実現した。

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韓国人の反応

韓国のポータルサイト「ネイバー」の反応です。

とある韓国人

メダルとか関係なしにオリンピックで最も面白くない種目だった。

更に金メダルが無いなんて見どころはどこなんだろう?


とある韓国人

正直言って、金メダルは1~2枚ぐらいだろうと思っていた。

まさか0とは・・・。